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続けて「盤鬼のつぶやき」第12回。

では、たて続けに「盤鬼のつぶやき」第12回です!!
盤鬼様エネルギッシュやなぁ〜

今回のは、なんか永遠に語り継がれるような比較ネタです。

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盤鬼のつぶやき第12回
2009年2月11日号

『証言・フルトヴェングラーか
カラヤンか』を読む

 昨年、『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(川口マーン惠美著、新潮選書)を読んでいたが、これについて一度も書く機会がなかったので、今回はこれについて触れてみたい。
 帯に「二十世紀最大の巨匠は、果たしてどちらなのか!?」とあるように、本書は往年のベルリン・フィルの楽団員へのインタビューをもとに、彼らがどちらのシェフを高く評価していたかを検証するものである。結論を先に言うと、この大前提そのものにちょっと無理がある。なぜなら、フルトヴェングラーとカラヤンのどちらが偉大かは言うまでもないことだ。勝負はついている。この本はフルトヴェングラー、カラヤンの双方の時代を体験した元ティンパニ奏者テーリヒェンの著した『フルトヴェングラーかカラヤンか』(音楽之友社)の拡大版を狙ったのであろう。しかし、あの本はカラヤンが生きている間に、フルトヴェングラーとカラヤンの内情を知る人物が出版したからこそ意味があったのである。まあ、簡単に言うと、「我々のようにフルトヴェングラーを体験した者にとってはね、あんた(カラヤン)よりもフルトヴェングラーの方がずっと偉いんだよ」と、こんな感じである。
 このことをカラヤンは百も承知であっただろう。だが、それをはっきりと突きつけられるのは、カラヤンにとっては決して触れられたくない話題だったに違いない。でも、何人かの楽団員が語っているように、彼らは指揮者の要求に答えることが最大の任務である。それに、フルトヴェングラーが偉大だと感じていたところで、その時代が永遠に続くわけでもない。フルトヴェングラーが世を去ってしまえば、それで終わりなのだ。聴き手は死者を懐かしもうが奉ろうが勝手だが、現場の人間はそうはいかない。
 従って、本書で著者が無理に白黒をはっきりつけさせようとしているのも、いささか強引な印象を受ける。それに、フルトヴェングラーを知らない楽団員に、フルトヴェングラーとカラヤンに対する評価の違いを引き出そうとするのも適切ではなかろう。それ以上に、証言の間にはさまっている著者の素朴な疑問や驚き、あるいは推測などが、的を射ていなくていささか読みづらい部分もある。
 とはいえ、優劣や白黒を題材にしたのではなく、フルトヴェングラーとカラヤン時代の楽団員の貴重な証言集として読むならば、それはそれで十分に興味深いものだ。少なくとも、この2人の指揮者のどちらかに興味のある人には、読んで損はない。
 本の基本的な作りが以上のような内容なので仕方はないが、私はフルトヴェングラー・ファンのひとりとしてもっと聴いて欲しいことがたくさんあった。特に戦前から在籍していたバスティアーンやハルトマンらだ。彼らは戦時中の困難な時代、どんな思い出演奏をしていたのか。それに彼らはきっとフルトヴェングラーのベルリン復帰演奏会にも出演していただろう。その最初のリハーサル、楽団員はどんな気持ちでフルトヴェングラーを迎えたのか。そして指揮者が最初に発した言葉は何だったのか。演奏会当日の会場の雰囲気はどのようなものだったか。あるいは、映像が残っているシューベルトの「未完成」はどこで収録したのか、など。
 テーリヒェンはさきほどあげた著作『フルトヴェングラーかカラヤンか』の中で、カラヤンの目をつぶって指揮をする方法がとてもやりにくく感じたので、カラヤンと一部の楽団員とで話し合いが持たれ、「ある種の折り合いをつけた」と記している。私は本書にあるテーリヒェンの「カラヤンの音楽には感情がない」という過激な発言よりも、この「折り合い」がどんなものだったのかが知りたかった。でも、それは今となってはもはや尋ねることが出来ない。テーリヒェンは昨年4月に他界している。(平林 直哉)
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平林 直哉

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盤鬼様ありがとうございます。

実は私はこういうフルトヴェングラーVSカラヤンというのは、あまり興味がありません。
同時代であればともかく20世紀の前半と後半を分けた二人です。
その時代のことも考えにいれると、どっちがいいと激論するのはどうなのかなぁと。
戦前にはフルトヴェングラーのような音楽が必要とされていて、戦後の社会の中ではカラヤンの音楽が必要とされていたと思うんです。

きっとこの二人の比較論になると、フルトヴェングラーの芸術性、特に精神性の高さに比べるとカラヤンなんてセールスマンだ・・・みたいなことがよくいわれます。
いっつも思うんですが。。。。セールスマンのどこが悪いの?って。
音楽や絵画、美術など文化と呼ばれるものたちは経済の営みのなかから生まれていきます。
作家、作曲家、画家のような人達だって霞食べていたわけではありませんし。
文化は経済によって支えていると考えることは普通だと思います。

カラヤンについては私もファンではありませんでした。
でもカラヤンの録音を聞いて空虚だとは、あんまり感じません。

クラシックの場合、大きな影響力をもつのは評論家だと思います。
今ではいろんな評論家がいます。いいことですね。
かっては某誌によって論調が決められていたと思います。
私もその世代です。気をつけなくては。

私が素敵なアドバイスだな〜と思って、いつまでも忘れない言葉があります。
それはその某誌で読者相談コーナーを担当されてた通称デーヤン先生。
まぁいろいろあって表舞台から去りましたが。。
その方が書かれた初心者さんへのアドバイスで、概念にとらわれず新しいものを聞きましょう。というのがありました。
「フルトヴェングラーのベートーヴェンが最高だから、とかベームのモーツアルトが最高。ということでそこでとどまっては、もったいありませんよ。今の時代の演奏というのが次々と出ているわけですから。」
といってベームのモーツアルトでなく井上道義さんのを薦めてましたね。
素敵なアドバイスだと今でも覚えています。
もちろん過去の大切な財産も素晴らしく魅力的です。
どっちが。ということでなく、どっちも。
という気持ちでいたいと思います。

ちょっとずれちゃいましたね。。。次は渋谷さん&佐藤さんのコンサートリポートの予定です。
by concerto-2 | 2009-02-11 20:10 | サイト・ブログのご紹介 | Comments(0)